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拝啓 漆様 |
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大西 智洋 さんによる漆エッセイ |
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北海道札幌市出身。阪神ファンです! 東北芸術工科大学大学院卒業(古典彫刻修復専攻)在学中は文化財修復よりもアメリカンフットボールとそば打ちに勤しむ。 2000年4月上京、とある研究所にて漆工品修復開始。 翌年「日本うるし掻き技術保存会」の平成13年度研修生に選ばれ、6月〜11月まで岩手県浄法寺町にて住み込みで漆掻きの指導を受ける。泉清吉氏とはその頃から交流を持つ。 同年11月より漆工品修復再開、現在に至る。 |
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第1回 「二日酔いは男の風邪」 |
02.11.28 |
第2回 「偶然」 |
02.12.1 |
| 第3回 「昔の道具と面影」 | 02.12.6 |
| 第4回 「漆の木が呼んでいる!?」 | 02.12.14 |
| 第5回 「僕の漆は」 | 02.12.20 |
| 第6回 「偶然〜その2〜」 | 02.12.29 |
| 第7回 「焼けた歴史」 | 03.1.8 |
| 第8回 「九州男児」 | 03.1.18 |
| 第9回 「おぉ〜い雲よ、君はどこに行くんだぁ」 | 03.1.30 |
| 第10回「白い砂浜,ぴちぴちのねーちゃん,青白い顔の僕」 | 03.2.21 |
| 第11回 「えぽきし」 | 03.3.10 |
| 第12回 「山梨旅行」 | 03.4.10 |
| 第13回 片手にピストル、心に花束、唇に火の酒、背中に人生を」03.4.17 |
| 第14回 「自信喪失」 | 03.5.19 |
| 第15回 「初!山陰地方」 | 03.6.17 |
| 第16回 「カメラ小僧入門」 | 03.7.10 |
| 第17回 「夏休み自由研究」 | 03.7.31 |
| 第18回 夏休みの思いで」 | 03.8.22 |
| 第19回 「また上海かよ!」 | 03.9.1 |
| 第20回 江戸っ子は我慢強い」 | 03.10.23 |
| 第21回 「二週連続山形 | 03.10. |
| 第22回 「浪花節」 | 03.11.6 |
| 第23回 「京都2003秋〜だって正倉院展っていうから…〜」 | 03.11.12 |
| 第24回 「ボジョレヌーボー解禁」 | 03.11.27 |
| 第25回 「サバディーカー」 | 03.12.5 |
| 第26回 「バンコク」 | 03.12.15 |
| 第27回 「国際研究」 | 03.12.26 |
| 第28回 「鉋台」 | 04.2.28 |
| 第29回 「遠征」 | 04.3.17 |
| 第30回 「親愛なる恩師」 | 04.3.25 |
| 第31回 「初講演」 | 04.4.1 |
| 第32回 「赤色漆」 | 04.5.29 |
| 第33回 「睡魔」 | 04.6.4 |
| 第34回 「ウルトラマンジャック」 | 04.6.17 |
| 第35回 「中国産漆」 | 04.7.22 |
| 第36回 「草苅」 | 04.7.31 |
| 第37回 「グループ展」 | 04.10.28 |
| 第38回 「実演」 | 04.11.4 |
| 第39回 「裏・工房探訪記」 | 04.12.27 |
| 第40回「秋田名物」 | 05.2.23 |
| 第41回 「強行軍」 | 05.4.2 |
| 第42回 「もう一つの漆掻き日誌1」 | 05.6.18 |
| 第43回 「もう一つの漆掻き日誌2」 | 05.7.26 |
| 第45回 「おBON(後編)」 05.8.31 | 第46回 「北へ南へ」 06.5.22 | 第47回 「フードファイト」06.8.1 |
| 第48回 「二週連続」 06.9.7 | 第49回 「秋の浄法寺」 | 第50回 「不死身の男」 06.11.29 |
| 第51回 「マイナススタート」 07.5.11 | 第52回 「Love is Water」 | 第53回 「奈良シカ」 07.6.15 |
| 第4
6回
今回のサブタイトルは「北へ南へ」です。 今年は年度末までなにかと忙しく、やっと最近は遊びに精を出せるようになりました。 5月の連休は1、2日に代休を入れ、一週間ほど休みをとりました。休んだかといえば、休んだような休んでいないような… スタートは5月1日の朝6時起き、まずは上野から7時過ぎの新幹線に乗り岩手県の二戸市に向かいました。13時から以前お世話になった漆掻き協会の総会が浄法寺町であり、総会参加と個人的に漆で聞きたい事がありお話を伺いに行ってきました。14時位まで総会に参加し、それからは急いで浄法寺町から盛岡行きの高速バスに乗り、乗り換えて花巻空港、そして飛行機で実家の札幌に帰りました。千歳空港に着いたのは20時、家に帰る前に友達と逢って飲み喰いして、結局家に着いたのは1時でした。
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2日、午前は親戚に挨拶、そして昼からは久し振りにお墓参りをしようと一人車を走らせてきました。夕方帰ると父親に連れられ馴染みのお寿司屋さんへ。そこの大将が刀剣や骨董品が好きで、僕の事を大変気に入ってしまい食べる隙がないくらい話しかけられ…飲まされ…結局お寿司の味など判らないで店を後にしました。次回は持ち帰って食べたいです… 3日は市内を散歩してやっと一息ついた感じでした。4日は朝からまた移動、千歳空港に向かい、行き先は山形、恒例の山形合宿合流です。山形空港に着くやいなや、迎えに来てくれた岡山ナンバーの車といつもの友達。山形市内に向かう車中は河島英吾の歌が流れ、自然と口ずさむ我々三人。今回の合宿テーマも「男、酒、時代遅れ」でほぼ決定。
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6日は友達に勧められ写経を体験する為お寺に向かいましたが、住職不在のため断念!仕方なく蔵王の大山桜を見に行くが、まだ咲いていない…近くに僕がバイトしていたお蕎麦屋さんに行くと、大きな庭にある桜は満開!ラムネと蕎麦を食しながら桜を眺めていました。 そして夕方まで友達の家でケンタッキー、ビール、DVDで過ごし、グンニャリしたまま新幹線で東京に帰る事となりました。 |
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第45回 サブタイトルは「おBON(後編)」です。
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第44回 今回のサブタイトルは「おBON(前編)」です。 名字と同じ名の地区に到着するとそこは墓地…友達は町役場に向かい聴き込みを開始。お寺を紹介されお話をうかがい、さらに近所の方を紹介され炎天下の桃畑で30分立ち話しをしたそうです。その間、僕と岡山の友達はコンビニで涼しんだり車の中でDVDを見ていました。最終的には地名並びに名字のルーツは不明のままとなりました。
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第43回 今回のサブタイトルは「もう一つの漆掻き日誌2」です。
次の日、漆掻き後にみんなで西蔵王にある「三百坊」と云うお蕎麦屋さんに行きました。僕が6年間バイトをしていた所です。今の時期は新蕎麦が出る前である事、水がぬるくなりがちな為に味が落ちる傾向があります。ここのお蕎麦屋さんは玄蕎麦(製粉する前の実)で保存して風味を極力落とさない事や、井戸水のため水が冷たい、標高500米に位置しているため市内より3度程涼しい等の理由からいつも美味しくいただけます。機会がありましたら広い庭を散策したり、山菜天ぷら、昔ながらのラムネを飲んでみてくださいませ。
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第42回 サブタイトルは「もう一つの漆掻き日誌1」です。
帰り道、徐々に雲行が怪しくなり雨が降ってきてしまいました。車内は「寄り道しすぎたんじゃないの?」と重たい空気が立ち込めはじめました。しかし漆掻きの準備を始めると雨もやみ、無事に作業は終了しました。
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第41回 サブタイトルは「強攻軍」です。
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第40回
今回のサブタイトルは「秋田名物」です。 。 その炉端焼きのお店は北海道料理屋で、久し振りに食べる物や初めて食べた料理で大変美味しく、お酒も沢山頂きました。そしてその日はたまたま店内で「寄席」を見せてくれる日で、落語家さんが目の前で話し、滑稽談を聞かせてもらえました。落語の最中にお客さんが話しかけたりして店内(私達の席)はおお盛り上がりでした。
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第39回
今回のサブタイトルは「裏・工房探訪記」です。
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. サブタイトルは「実演」です。
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第37回 「グループ展」
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第36回
サブタイトルは「草苅」です。 週末を利用して山形に行ってきました。目的は大学恩師の自宅兼修理工房の庭で、すくすくと成長した草どもを根絶やしにする、「草苅」に参加するためです。何故わざわざ僕が山形まで行って草を刈らなければならないのか…事の発端はちょうど一年前… 土曜の夜に恩師から電話が有り「今日山形の家の草苅をして、手伝ってくれた学生達と家で宴会しているんだけど今から来い!」と既にご機嫌な調子で連絡が入り、電話越しに賑やかな笑い声が…友達に電話を変わってもらう度に「なんで来れないの?」「昔なら来ただろうな〜」「アイス買ってきて〜」などと言われる始末。そしてその時決意しました。「来年意地でも行ってやる!」と… そして今年の草苅当日、山形も梅雨明けしたのでさすがに暑く(なんでも36度!?)の中で4時間程作業を行いました。僕は漆の木の周辺を草苅することになりました。以前新潟の掻き子さんから苗木を分けてもらい、20本以上漆の木が植えてあります。それらが順調に育ち、7〜8本は来年掻く事ができそうでした。そして恩師に「来年何本か掻いてみたいと考えているんだけど、教えて」と言われました。そのため来年は今まで以上に山形を往復するかもしれません。「浄法寺漆掻き日誌」に続く、「山形漆掻き日誌」が始まってしまうかもしれません。 草苅も昼前には終わり、温泉で汗を流した後、キレイになった庭でバーベキューをしました。賑やかな暑気払いとなりました
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第35回
今回のサブタイトルは「中国産漆」です。 うちの仕事場に漆屋さんが中国産漆を持って訪ねてきました。事の発端はその一週<BR>間前…近くを配達で回った時に急に訪れ色々話をしていきました。話の中で中国産漆でも何処の地方で採ったものが良いのか聞いた所、実際にその漆屋さんが仕入ている四種類の中国産漆を持ってきてくれる事になりました。中国産漆の地域は ・四川省の城口(じょうこう) ・貴州省の坒節(ひっせつ) ・湖北省の毛埧(もっぽ) ・陜西省の安康(あんこう) の四種類の荒み漆でした。日本に入って来る物は城口産漆が一番多いそうです。 今回見た漆の特長は、城口産はゆるくて水分が少なそうでした。日本産の盛漆に似ている感じです。 坒節産は乾きが早いそうで、水分が多い為でしょうか、固い感じで初漆に似ている>印象があります。色は白っぽかったです。黒漆には向いているが透漆には向かないそうです。 毛埧産も?節産に近く固い感じです。安康産は軟らかかったです。 しかしこれらの特長は大まかな目安にしかならないそうです。漆全般に言える事なのでしょうが、掻き採り方、掻き子さんの技術により同じ地域であっても品質は大きく変わってくるようです。今回漆屋さんが持ってきた漆は、気を使って下さり各産地ごとでも良い漆を選んで持ってきてくれました。同産地漆でも品質の悪い漆もあり、買って一週間でがらりと変わってしまう物もあるそうです。その時仕入た物で良い物を上塗り用に精製したりするようです。ブレンドしたりなんなりで漆屋さんも品質の安定供給は難しいようです。
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第34回 今回のサブタイトルは「ウルトラマンジャック」です。 今年前半戦の学会参加も最後となりました。今回は奈良で開催され出張帰りに聞きに行ってきました。漆に関係している報告は少なかったのですが、膠の研究報告がいくつかあり修理にいかせられる知見が得られました。 期間中、友達の勧めで未だ食べたことの無い『明石焼』を食べに行ったのですが、見てまず驚きました。下駄の上にふわふわしたタコ焼きが乗っかっていました。そして脇には湯気のたつ透明な汁…友達は下駄の上の物を汁に浸し食べ始めました。僕も同じように食べましたが、先入観で現物を見るまでお好み焼き的な食べ物と思っていたので、あまりにもさっぱりした味でした。これはこれで美味しいと思たのですが、友達が過去に連れて来た3人は一つ食べた後、一斉にソースをかけた事をえらくご立腹でした。 その帰りの車中カーナビで「帰ってきたウルトラマン」のDVDを見ていました。『第17話 怪鳥テロチルス 東京大空爆』の話に心揺さぶられてしまいました。本編はウルトラマンや怪獣よりも、ミニドラマの「男の生き様」にもっていかれていました。果たして子供には理解出来るのであろうか…初日学会後の懇親会で友達にこの胸の高鳴りを伝えるにはあまりにも無理がありました… 次の日は午前中に大和文華館に行き、漆の展覧会を見てきました。本阿弥光悦昨の群鹿蒔絵笛筒が拝観できてとても良かったです。そして昼から夕方まで発表を聞いた後に東京に帰りました。あまりにも盛り沢山でさすがに疲れてしまいました。そして、今年のお盆休みは「ウルトラマン合宿」になりそうです。
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第33回 今回のサブタイトルは「睡魔」です。 漆の研究会があり日光に行ってきました。日程は二日間で、一日目は日光建造物の彩色を行っている現場、うるし博物館を見学してきました。建造物は塗り直す為に、建物を足場とビニールシートで覆い作業を行っていました。現場では彩色を剥がしている場所、腐った柱の補強、漆で素地の補修、彩色復元等々、一連の仕事を見学することが出来ました。うるし博物館では古い物はもちろん、復元品も多く展示されていました。 初日の夜はホテルに泊まり、夕食兼懇親会が催されました。久しぶりに会う友達と陽気に呑んだり、諸先生方と色々お話を伺ったり…次の日の研究発表が9時からにもかかわらず2時過ぎまで呑んで騒いでいました。その中に発表者4人の内、2人までもが最後まで一緒に呑んでいました。最後は僕もふらふらになりながら友達と風呂に入って寝ました。 次の日の朝は7時30分に起こされ朝ご飯を食べ、部屋に戻ってからまた横になり睡眠を取りました。 研究会では、スライドに入るたびに暗くなります。学生の頃からスライドの時は眠くなる習慣がありましたが、午前中はなんとか話を聞くことが出来ました。ただ、昼ご飯を食べてからの最後の発表ではすこし睡魔に…未だ暗くなると眠たくなってしまいます…
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第32回 今回のサブタイトルは「赤色漆」です。 先日、京都で文化財の学会があったので聞きに行ってきました。その学会は修理者よりも科学を専門とした発表がメインなので、例年でしたら聞きに行かない分野でした。しかし今年は漆に関する発表が多く勉強してきました。 漆の発表は殆どが出土品でした。僕の出身地でもあります北海道の出土品に対する研究の多さに驚きました。発表者の方とお話をしながら、北海道の漆文化に対して知らない事が多く恥ずかしい思いでした。縄文時代前期からアイヌ文化まで漆塗が重宝されてきたことをあらためて感じました。 学会中、少し時間があったので京都市内の行ったことのない漆屋さん二カ所を訪ねてみました。特に目当ての材料等は無かったのですが、朱顔料が目に入ったので「黒田朱はまだありますか?」と聞いてみたところ「数年前に無くなってしまったね〜」と言われました。僕も生産が終わったことは知っていたので、漆屋さん行くとダメモトで聞いてみてはいます。 僕は黒田朱を実際に使ったことは無いのですが、聞くところによると他の水銀朱に比べ粒子が細かく、退色が遅いようです。寺社建築の彩色では屋外で日に曝されている為、特に退色の速度は重要視されます。その為、製造停止になる時には個人は勿論、建築彩色方面の買い溜めが生じたようです。 伝統的な材料、道具が無くなってしまうと代用品しか知らない技術者がこれから増えていくのでしょうか…僕自身も知らないものが沢山有り、なかなか手に入らない物が多いです。
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第31回 今回のサブタイトルは「初講演」です。 初めて講演をしてきました。泉さんも以前取材を受けたNPO法人キャリナビより、「文化財保存修復」と云う仕事で僕の所に話しが舞い込んできました。学生10人程の前で二時間話をしたのですが、文化財が専門ではない学生に対し伝えることの難しさを感じました。 始まる前は少し緊張しましたが、喋り始めたら緊張よりも話したい事が溢れうまくまとめられない事も多々ありました。話しだけではイメージが掴めないと思い、今まで経験した文化財保存修復の事例を写真や報告書で見てもらいながら説明をしたり、浄法寺で漆を採りに行っていた事や学生時代の事、先生との出会いなど色々話しをしました。 質問では、「今の職業に付かなかったらどんな仕事をしていたか?」と聞かれ、「考えたことも無いです…」と答え、 「文化財修復に似ている職業は?」の問いに「医者ですかねぇ。白い巨塔みたいに外科医が患者さんを治すことに近いと思います。『文化財のお医者さん』と修理者を呼ぶ人もいます」等々、思いがけない質問に少々ビックリしました。 僕が話した事は基本的に学生時代に聞いた言葉が多いです。聞いた言葉をそのまま人に伝える事もできますが、それでは自分の言葉ではないです。聞いた事を経験して初めて自分の言葉として人に伝えることが出来ると思っています。はたして今回の話しは自分の言葉で伝えられたのかなぁ…これを期に学生のみなさんに美術館、博物館に足を運んでもらったり、漆製品を使ってもらえたらと思っています。
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第30回 今回のサブタイトルは「親愛なる恩師」です。 母校の卒業式があったため山形に行ってきました。去年、一昨年の時は後輩や友達と乱痴気騒ぎをしてきました。しかし今年は今までとは違います。恩師が大学教授を辞めるのです。 3月21日卒業式当日、僕は夕方まで東京で仕事をし、18時過ぎの新幹線に乗り山形に着いたのは21時を少しまわっていました。駅からタクシーに乗り三次会会場へ向かいました。すでにみんなは夕方(先生は昼過ぎ)から飲んでいたのでさすがにテンションは下がり気味でした。しかし有り難いことに僕と同級生が着くと乾杯攻撃再開、立て続けに生ビールを飲み干していきました。四次会はカラオケ3時間半、歌って踊ってビールを飲んで…最後は白○屋で朝5時に店を出されて終わりました。恩師はそのまま駅の待ち合い室で30分程寝て、自分の工房で仕事をするため始発の新幹線で帰っていきました。まったくタフな人です。 …あれは大学三年の宴会時「日本産の漆は甘いんだぞ」と恩師に言われ舐めたことがあります。しかしその時はすでに酔っ払っていた為、甘い云々など分からずそのままお酒を飲み続けていました。次の日の朝なんだか妙に体が熱く、シャワーを浴びたら全身がかぶれた時の感覚でした。痒くはなかったのですが数日後に高熱が出ました。それが漆によるものなのか、ただの夏風邪であったのか…それ以来一年以上僕と漆との間に深い溝ができ「漆なんか嫌いだ!」と公言していました。 なにはともあれ先生色々とありがとうございました。12年間お疲れ様でした。
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第2 9回
今回のサブタイトルは「遠征」です。 先日大阪、奈良に行ってきました。サッカーの試合をするためです。 事の発端は三年前、奈良国立文化財研究所とサッカーの試合をする為、我々文化財学科と山形周辺機関連合軍が奈良まで遠征し敗北した「ドーハの悲劇」があります。今回は雪辱戦であり「絶対に負けられない試合がそこにはある」でした。 我々「山形文化財運動団」は前日入りし(遠い人は札幌から)、昼間は奈良県明日香村を12人の精鋭達と共に自転車を借り爆走。今月新聞にも載った飛鳥京跡の貴重な発掘現場を急いで廻りました。お陰で試合前日なのにかなりの疲労感…夜は焼肉を食べ宴会、夜中までお酒を飲みサッカーの打ち合わせは無く、集合場所と時間のみ告知され解散。これで勝てるのか? 当日は14時から試合の為午前中は自由行動。他の連中は大仏に必勝祈願する為東大寺へ。僕は夜行バスで当日入りする友達を迎える為、朝6時に起き後輩と二人で駅に向かい合流。三人でふらふら朝ごはんを食べられる所を探していると目の前に大相撲初日を迎える大阪府立体育館が…ここは何処なのか… 朝食にありつき最寄りの駅に向かい試合までの時間をいかに有意義に潰すか検討。僕が「住吉大社に行きたい」が認められ行くことに。「住吉蒔絵〜」と昔のものでよく図案に使われているので一度景色を見てみたいと思っていました。 住吉大社ではおみくじを引き(僕は凶)、絵馬に必勝祈願をし、いざ試合会場へ。試合30分前にやっと全員集合。本当に勝てるのか?しかし試合は2対0で見事勝利しました。久しぶりに筋肉痛になりました。
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| 第2 8回 今回のサブタイトルは「鉋台」です。 毎週水曜日の夜に木工教室に通っているのですが、最近鉋台を彫りました。鉋の刃(一寸六分、裏金付き)と樫材を買い、木工教室で教わりながら作ってみました。 鉋台は基本的に樫材を使用しています。中国で紫檀材のものを見ましたが、紫色が削っているものに付いてしまう事があります。 樫にも赤樫、白樫があります。赤樫は水に強く、船のオールに使われていたそうです。白樫は水がつくと紫色のアクが出てきてしまいます。どちらも堅さや狂いに関しては同じようなのですが、色が濃いと刃の出具合が見づらいので白樫の鉋台が多いようです。たまに柊材もありますが、少し高級なようです。油台というのもありますが、エゴマ油を染み込ませるのが良いそうです。 鉋台を彫る際に、最初に刃を仕込む角度を決めます。七分勾配、八分勾配、九分勾配…直角(台直し鉋)と色々ありますが、標準的な八分勾配にしました。約38度位です。木取りは板目にしました。ちなみに大工さんが外での仕事の際、冬の空っ風で台が割れてしまう恐れが有るので関東は板目が支流なようです。逆に関西は柾目が多いようです。 彫る際に注意することは刃口です。裏金が有るとはいえ刃口が広いと逆目が起きやすくなります。一枚刃では特に刃口は狭くなければいけません。広くなったら刃口を埋木したり新しく台を彫る等します。台も下端で確認しながら小まめに削って直す為、当然台は薄くなっていきます。その為、鉋の刃を使い切るのに台は三回くらい作り直す事になるようです。 遅くなりましたが、今年最初のコラムを掲載していただきました。今年も宜しくお願いいたします。漆に関係無くすみません…
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第27回 今回のサブタイトルは「国際研究」です。 今月始め、東京で漆の国際研究集会がありました。3日間あり初日は海外の漆情報、主に各国の美術館で所蔵されている日本漆器が報告されました。ほとんどが江戸時代以降に輸出された漆器のようです。 2日目は日本の保存修復事情の話で、理念や過去の修復事情等を聞きました。最終日は現在保存修復に携わる方の最新修復事例について発表がありました。 3日間で特に興味深かった発表は最新事例のイギリスのヴィクトリア&アルバート美術館(V&A)が所蔵していますマゼランチェストの保存修復事業に於ける西洋・日本の保存修復処置の考え方、相違が興味深かったです。 V&A担当者の発表で、「合成樹脂による修復処置は必ずしも可逆性があるとは言い切れない。技術者の処置方法によっては可逆性材料であっても後に取り除くことが出来ない処置になりえる。例えば脆弱した下地に合成樹脂を含浸補強した際、全ての含浸させたものを除去することは難しい。」と理解されていました。しかしながら可逆性の無い漆に対してはかなり抵抗があるようで、日本の保存修復技術者との修復処置材料は未確定のようです。個人的には天然材料で修復処置を行っていただきたいな〜と思っております。 今年のコラムは今回が最後です。2004年の「拝啓、漆様」をまた宜しくお願いいたします。
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第26回 サブタイトルは「バンコク」です。 前回の続きです。 帰国前にバンコクにも少し立ち寄りました。「曉の寺院」、「エメラルド仏寺院」を見て来ましたが、日本とは全く違った景色、空間でした。そして人々の仏教への信仰心、国王に対する尊敬の深さには感銘をうけました。いろいろ工房にお邪魔して仕事場を拝見させていただくと、職人さんが手を合わせて挨拶をしてくださいました。工房を出るときにこちらも同じように手を合わせると、作業の手を止め挨拶をして下さいました。 エメラルド仏寺院は王宮の中にあり、また厳格な仏教国と云う事もあり肌を露出することは好まれず、入館する際は失礼の無いよう服装を厳しくチェックされました。エメラルド仏寺院とは、本堂にエメラルド色した翡翠製の仏像が安置されており、その仏像の為に建てられた寺院だそうです。そこの扉には前面に螺鈿が施されていました。大体彫に夜光貝の厚貝であると思われます。 地理的にチェンマイは山の中ですが、バンコクと以南は海沿いですので貝細工が盛んだったそうです。材料調達も沖縄からタイ辺りまでは夜光貝が取れるようです。現在でも南の方では螺鈿細工の工房があると聞きましたが、今回はそこまで見に行く時間がなく残念でした。 そのかわり漆の本を買ってきたのですが、英語で書かれている為まだ詳しく読んでいません…写真は分かるのですが、タイのランタイ、螺鈿について詳しく書かれているようです。読むのが大変です。
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第24回 今回のサブタイトルは「サバディーカー」です。 先日五泊六日でタイに行ってきました。目的は漆工芸研修と云うことで現地の技法、材料等を見てきました。 前半はタイの北に位置するチェンマイに行きました。そこではらん胎漆器が作られていました。竹製(パンピーと呼ぶ、節間が1メートル程ある竹)の曲げ輪造り工房、漆を塗る工房を見学し、実際に竹で編むことも体験してみました。日本のらん胎は中心から外に向かいながら編んでいく方法が普通だと思いますが、チェンマイは外形から中心に向かって編んでいました。
漆塗りの工場では卵殻、箔押し、研ぎ、塗り等が見られました。塗りは津軽塗りに似たものがありました。使われている漆は採取した時期により使い分けていました。基本的に雨期(4月〜11月)と乾期(12月〜3月)で使い分け、漆自体の乾きも違うようです。雨期では水分量の多い漆が採取されます、日本で言えば初漆に近いのでしょうか。乾期は木自体の水分が少なくなっているので漆の水分も少なくなるようです、盛漆に近いのでしょうか。卵殻の接着には雨期の生漆、塗りは乾期の漆を精製して使っていました。精製は天日でクロメたり鉄粉を入れて黒くしていました。
次の日は漆の木を見ました。木の大きさは樹齢15年位のものでは日本と太さはあまり変わらなかったです。しかし背は高く葉も大きかったです。表面の皮は厚く硬そうでした。樹齢は分かりませんでしたが直径40センチ以上の木もありました。上の枝には赤と白の花が咲いていました。
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| 第24回
今回のサブタイトルは「ボジョレヌーボー解禁」です。 の日に、ドイツ人で油彩画保存修復をされている方の講演を聞いてきました。漆工品保存修復の僕にとっては専門外ではありましたが、講演のタイトル「現状(オリジナルな状態)と現状の間の緊張の場における絵画保存修復」に惹かれました。理論的、哲学的な講演であり多くの事を考えさせられました。 保存修復を行う際「オリジナルと経年変化の境界線」は常に問題となります。オリジナルの始まりは制作者が筆を置いた時点であり、後は変化(極端に言えば劣化)し続けていくでしょう。「時間も作家」と例えるのなら、古めかしくなっていくことも作品にとって「オリジナル」と言える。個々の作品が置かれた環境、持ち主歴が違うのであれば「オリジナルの経年変化」と言えるのか。しかし経年変化は作家の意図した変化であろうか?漆の透け金属の腐食、油彩画のワニスの黄変、どれも意図して作品に生かされる変化であったのだろうか…作家は自分の作品が壊れたときに他人に修理してもらいたいのだろうか… 保存修復処置を行う者の技量、感性が低いと修理したモノは作品本来の芸術性を損なう恐れがあり「芸術の敵」となる。理論という武装をし、過去に修理された箇所に立ち向かい、オリジナルを守ることが保存修復者であるとのなら、芸術の敵とならないような保存修復者になりたいです。 講演後の懇親会ではボジョレヌーボーを飲んできましたが、ほろ苦い美味しさでした。
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第23回 では今回のサブタイトルは「京都2003秋〜だって正倉院展っていうから…〜」です。 週末京都、奈良に行ってきました。初日の土曜日は早朝から新幹線で京都に向い、蒔絵筆制作の村田九郎兵衛さんの仕事場を拝見してきました。とても綺麗で整頓されたお仕事場で、色々質問したりお話を聞かせていただきました。蒔絵筆の種類が大小含め30近くあったのには驚きました。その中で今では殆ど注文が無くなり、年間一、二本しか作らない筆もあると聞きました。高蒔絵用の筆があり狸の毛で作られていることもはじめて知りました。とても興味深いお話が聞けた一時でした。 村田さんの所を後にし、すぐ近くの漆屋さんにも入りちょっと買い物をして、午後からは高台寺、京都博物館を拝観してきました。遠くの山では紅葉が始まったようですが、今回は京都市内を回ったので紅葉を見ることは殆どできませんでした。 次の日は奈良に向かい、奈良博物館の正倉院展に行きました。11時頃に着いたのですが、雨にも関わらず行列が出来ており拝観するのが大変でした…奈良では正倉院展のみで早々に京都に戻り、東寺に行ってきました。国宝の海賊蒔絵袈裟箱が見たかったのですが展示されておらず残念…でも昭和五年に焼失してしまった食堂の四天王像(木造の四天王像で3メートルと最大の大きさ)が近くで拝観出来ました。表面は炭化しボコボコで真っ黒になっていますが、それでも彫刻本来の存在感は素晴らしかったです。 有意義な二日間でした。
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第22回 今回のサブタイトルは「浪花節」です。 なんか最近上海出張があります。コラムでも上海ネタがこれで三回目ですが、いつもお酒ばかり(白酒)飲まされています…今回も予想通りでしたが、今までの宴とは少し違い、同席した中国人のオウさんから色々なお話が聞けました。 1966〜77年、文化大革命が起こりました。毛沢東等を主導者とし直接大衆を組織することで党・行政機関の実権を奪いました。人民はみな農作業をし学校での勉強がなくなったそうです。オウさんはその時は子供で、勉強しなくてもいいんだと思ったそうです。しかしその空白の時間はただただ成長の無い時代であり、今でも失われた時間を取り戻そうとしているそうです。そのような幼少期から33年も付き合っている友人のチンさんとは親兄弟にも話せないことでも話せる真の友人、兄弟だと語っていました。そのような話しを聞きながら僕達は涙の代わりに白酒を飲み干していました。 ご機嫌なオウさんは「明日は私の行きつけの店で晩御飯を食べよう」と誘われました。次の日はオウさんの親戚二人と親友のチンさんも同席していました。昨夜オウさんは飲み過ぎたせいか体調が悪いとのことで、この日は白酒がどうしても飲めない為、親友のチンさんがオウさんの助っ人で白酒を飲みに来ていました。しかしチンさんは元々お酒は弱く、二年前に体を壊してからは医者に止められ、白酒はずっと飲んでいなかったそうです。それなのに僕達の為に宴を盛り上げ、白酒を景気良く飲んでいました。チンさんは帰りはフラフラ、車で家まで送っても歩けない位酔ってしまったそうです…気持ちの良い中国の兄貴達でした。
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第21回
今回のサブタイトルは「二週連続山形」です。 浄法寺町での漆シンポジウムに参加した後、帰りに山形に寄ってきました。昼に山形に着くやいなや友達の車にで蔵王体育館へ。そこでサッカーを3時間程しました。そして夕方からは市内を流れる馬見ヶ崎川河川敷で秋の山形恒例の芋煮(醤油味の鍋。里芋、牛肉、こんにゃく、ごぼう、ねぎ、日本酒等が入っています。馬見ヶ崎川河川敷で行うのが正統であり、昼間に行う)を作り初めました。真っ暗で寒い中、熱燗を飲みながら芋煮を食べていました。そのあと友達の家でお酒を飲み直したのですが、僕が酔って下駄を履いたまま壁を登ろうとした為、下駄を割ってしまいました。「下駄を造れ!」と言われ、翌週も山形に来る羽目になりました。自業自得です… 翌日は大学の後輩が黒漆(特に呂色漆)を研究したいとのことで相談にのっていました。僕も学生時代、生漆に鉄粉を入れて黒くした経験がありました。ちなみに今年の夏に素黒目に鉄粉を入れた実験は失敗に終わりました。ほとんど黒くならなかったです。 そして一週間後、二度目の山形では後輩に小さな塗師刀とヘラを渡し扱い方を教えてました。そして家から持ってきた桐材で下駄を造り始め、3時間程で出来ました。唯一つ問題は壊した下駄は杉材で、色が明らかに違うことです。まあ、わざとなんですけど… 次の日はラフランスを収穫するバイトをして新幹線代を稼いでいました。二日間バイトをする予定だったのですが、またもや深酒をしてしまい、下駄は壊さなかったのですが二日酔いで朝起きれずバイトを休みました。 そんなこんなで秋の山形を満喫してきました。
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| 第20回 今回のサブタイトルは「江戸っ子は我慢強い」です。週末上野で文化財保存修復学会の例会、研究会が開催されました。初日は東京博物館で展示されています平成14年度に修復された文化財の一部を公開し、一般の人にも文化財修復を理解してもらえるような説明がされていました。今回はその修復に携わった方から直接お話が聞けたのですが、僕が目当ての漆工品修理は担当者が見当たらず詳しい話が聞けず残念でした。それでも会場で久しぶりにお会いした方とお話もでき、いろいろ収穫の有るものでした。 午後からは会場を移し文化財保存修復学会発足70周年を記念し「文化財保存修復学会70年の歩みとこれから」と題し、先人達が積み上げてきた文化財に対する思いや託された重さを再認識した一時でした。翌日は一般の人を対象にした研究報告を一日聞いてきました。 二日間の日程が終わり、山形から来ていた友達が帰るまで上野界隈を歩いていました。その友達は数年前まで根津に住んでいたので色々想い出話を聞きながら、近くの温泉に連れて行ってもらいました。「六龍鉱泉」と云う所で、銭湯ではなく温泉でした。「ここの風呂は熱いよ」とは言われていたのですがホントに熱く、二つ風呂が有ったのですが、熱すぎる方は49度もあり入ることは出来ませんでした。それでも若干温度の低い風呂に我慢してしばらく入っていました。あがってみると体が真っ赤になっていました。雰囲気の良いお風呂屋さんでした。
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| 第19回 今回のサブタイトルは「また上海かよ!」です。 去年も10月に仕事で上海に行ったのですが、僕の記憶を奪った忌まわしい酒、その名をパイチュウ(白い酒)…またアイツと闘うのか… 地元の人はパイチュウをよく飲みます。ビールよりも値段が安く、アルコールも高く(52%)、香りも良く(僕は嫌いになりました)、次の日酒が残らない(僕は飲み過ぎて残りました)と云うことで若い人は仕事が終わったら毎晩飲んだくれているそうです。しかしパイチュウに魅せられて毎晩飲んでいると4、5年でお酒の飲めない体になってしまうそうです。今回宴会で同席した地元の人達も一様に肝臓等をやられてしまったのでしょうか、極端に酒が弱くなったり医者に止められていたそうです(通訳談)。それでも奥さんに隠れて「今日は仕方ない」などと口実を作りパイチュウやビールを飲んでいました。その口実の為に僕はパイチュウの餌食に… 通訳の人(二十歳のかなり面白い男、日本人と台湾人のハーフ)と夕食後ボウリング対決をしまして、「負けた方が次の宴会で率先してパイチュウを飲む!」と題打って勝負しました。まあ、僕が勝ったのですが彼はホント嫌だったのでしょうね、ボウリング3ゲーム、ビリヤードでも勝負しました。結果は僕の勝ちでした。次の日「バトミントン勝負!」までもちかけてきました。彼もパイチュウで苦い思い出があったのかな… その彼、今度友達を連れて西安観光をするそうです。話を聞くとそこには漆の木もあるそうです。「山が好きなので、ついでに見て来る!」と言っていたのですが、漆の木、見て判るかなぁ…
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| 第18回
今回のサブタイトルですが「夏休みの思いで」です。
先日お盆休みを利用して山形まで遊びに行ってきました。なにかと長期休みやイベントがあると山形集合が発生し、今回も僕以外に4人程集まりました。集まった連中はみんな大学時代の友人で、遠い人は岡山から車で来たのもいます。いつも泊まる家は暗黙のうちに決まっていて、そこでみんなと寝起きしていました。 今回のお盆休みで何をしていたかというと、ガンダムのビデオを全部借りて夜中まで見たり、県営室内野球練習場を借りて野球の練習をしたり、温泉に行ったり、買い物をしにジャスコに行ってオモチャ屋で時間を潰したり、ガンダムのプラモデルを買って作ったり等、学生時代とあまり変わらないことをしていました。 唯一変わったことといえば友達が結婚したことくらいでしょうか。彼とは大学の同級生で韓国からの留学生でした。今年から山形の大学助手になり、コラムでもたまに登場して来ました。今回結婚祝いに摺り漆をしたお盆をプレゼントしました。栃製の木地に、自分が掻いた漆を精製した素黒目漆を使いました。木目がわりと良かったので気に入ってくれました。 あと、僕が友達連中を置いてデートしていた時があり、そのため団体行動を乱したことにより友達連中から沈黙の非難?を受けました。いっそ軍法会議にかけられ反逆罪を否定したかったのですが…ガンダムの影響を受け続けた一週間でした。
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第17回 今回のサブタイトルは「夏休み自由研究」です。 先日、呂色漆を実験的に作ろうとしました。実は今までに3回程試みたことがあるのですが、今回は前回までとは手法を変えてみました。以前はお茶碗に盛辺の生漆と鉄粉を入れて混ぜ、ラップをして空気に触れないように何日か置いていました。その間鉄粉が沈澱してしまうので何度かかき混ぜていました。時間が経つと最初は灰色に変化し、日に日に黒くなっていきました。かなり漆が黒くなってからジョウバンの上で日光を当てながらなやし、くろめを行って作ったことがあります。しかし加減が難しく、日光に当て過ぎて漆の温度が高くなった、または水分が抜け過ぎた為と思われますがかたくて乾わかない呂色漆が出来上がってしまいました… ちなみに文化財漆協会の呂色漆の作り方は、盛辺に鉄粉を入れ、少し日に当て温度を上げて発酵?を促した後、蓋をしないで一晩置きます。次の日なやしをしながら上に炭火を吊して水分を抜いていました。 今回僕が行ったのは素黒目に鉄粉を入れ、ラップで蓋をしてしばらく放置しています。たまにかき混ぜて様子を見ています。素黒目は自分で掻いた盛漆を精製したもので、水分量は2年前当時で約3%でした。予想としまして、水分が生漆に比べ極端に少ないので鉄との反応が遅いと思われます。しかし完全に黒くなってしまえばなやし、くろめも終えているのでキメの細かさや乾きの早さなども予想がつくと思います。 3日経った状態ですが、お茶碗の縁に付いた鉄粉周辺の漆が少し黒くなってきました。しかし全体はまだまだ黒くなっていないのでしばらく見守っていようと思います。また今度結果をご報告いたします。
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第16回 今回のサブタイトルは「カメラ小僧入門」です。 最近新しくカメラを購入したいと考えています。今持っているのはAFのミノルタ一眼レフカメラなのですが、ボディもレンズも大きいので鞄から出すのをためらい、旅先での写真枚数が徐々に減ってきていました。今のカメラを買ったのは学生時代で、自分の作品や作業工程を撮ったり、調査でお寺の仏像を撮らせていただくことを考え購入しました。今欲しいのは外国製の小型MFカメラで、クラシックなものを探しています。このデジタルカメラ時代に逆行していますよね。仕事場でもデジカメを使う頻度が高くなってきました。文化財修復では修理前・修理後・作業工程等を撮影することが多いです。僕が行っている漆工品修復でも当然撮影を行っていますが、漆器の写真撮影は難しいですね。ライトを当てると光りすぎたり、黒塗り等は鏡の様に周りの景色が映り込むので大変です。注意しないと出来た写真に自分が映っていることも… デジカメでしたらその場で映り具合を確認することが出来るので失敗が減りました。しかし500万画素でもまだ映りが浅い気がします。そのため仕事では資料保存用、情景写真用等でカメラを使い分けています。これからもデジカメの精度はどんどん良くなり、撮影も簡単になるのでしょうね。でも遊びで使うカメラは失敗も気にせずマニュアルで写真を撮りたいと思っています。全てがうまくいくのも味気ないですし、現像後の楽しみもありますので。でもカメラはやはり高価ですね〜
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第15回
今回のサブタイトルは「初!山陰地方」です。 先月、島根県に行ってきました。文化財の学会参加が主な目的で、出雲大社も見学してきました。それにしても遠かったです。飛行機だと1時間で出雲空港に着くのですが、朝一の飛行機でも松江市の会場に着くには昼近くになってしまいます。今回は早朝に着いて出雲大社を見学する為に、夜行バスで行くことにしました。渋谷を20時に出発し出雲市に着いたのは朝7時でした。学会開始前の3時間を確保する為に11時間もバスに揺られるのは正直しんどかったです。それでも初めての土地、そして出雲大社ものんびり参拝できたのでよかったです。 学会には昼から参加しました。保存科学が専門の発表なので僕のような保存修復とは少し違うのですが、今回は漆の発表があり、以前から興味のあった鉄釘の報告もあったのでとても勉強になりました。 特に縄文土器に塗られた赤漆で、ベンガラを顔料としているもの(俗称古代朱と呼ぶ人もいます)を顕微鏡写真を見ました。パイプ状ベンガラと呼ばれる細長い顔料があるのですが、これは「水中起源の鉄バクテリア生産物を乾燥後、燃焼したもの」と、ある本に書いていました。簡単に言いますと、あるバクテリアに鉄を身にまとっているものがいます。その生物は沼沢地に生息し、特に赤茶色の泥水にそのバクテリアはいます。その泥水を採取し乾燥させたものを焼くと、微生物の体の周りの鉄が酸化鉄となり赤色に、バクテリアは焼けてなくなります。 そうしてできあがったパイプ状ベンガラはチクワのように中が空洞になっています。空洞部分はバクテリアの形です。そのような赤色顔料を漆に混ぜて塗ったものが縄文時代の地層から出土しています。 現在一般的に使っているベンガラとは鉱物起源のもので、パイプの形はしていません。鉱物を砕いた粉末です。以前パイプ状ベンガラを実際に漆で練り込んだ人から聞いた話では、粒子が荒くて塗りに向かないと言っていました。しかしバクテリアにも大小がありますし、砕いて細かくすることも可能だと思いますので、作り方次第ではうまく塗ることが出来ると思っています。しかしベンガラの色は水銀朱に比べ発色が渋いですよね。 縄文時代前期はベンガラのみでしたが、縄文後期に水銀朱が発見されると、中塗りまではベンガラ、上塗りは貴重で発色の良い水銀朱漆を使用したものも出てきています。縄文の人も使い分けていたんですね。
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第14回
先日久しぶりに自宅に仕事を持ち込みました。急な仕事が入り期日も近いことから、週末と月曜日の計3日間仕事をしていました。その仕事は本業の修復ではなく茶室にある扁額「へんがく(○○庵と板に字を浮き彫りしたもの)」の字を彫る仕事でした。三年前にも一度扁額を彫ったことがあり、その時は彫刻後は白土で仕上げたのですが、今回は黒漆を塗ることになり大変です。周りが白木なので汚さないように気を使っています。 それ以上に大変だったのが彫刻作業でした。杉の板目材なのですが、杉を彫るのはとても大変で、冬目である年輪はとても硬く、夏目はとても柔らかい特長があります。ちなみに赤身部は水にとても強く、腐りづらいので漆の風呂にもよく杉材が使われています。 話は戻りますが、硬い年輪は多少刃物が切れなくなっても騙しだまし削ることは出来ます。しかし夏目はスポンジのように柔らかい為切れない刃物では繊維をつぶしてしまい、むしれてしまいます。その為硬い年輪で刃物が傷み、柔らかい夏目でむしる…そして刃物を研ぐの繰り返しでした。今回の杉板は特に年輪が多かったので刃の傷むのも早く、数えきれないほど研ぎました。それがすぐに切れなくなるので「自分の研ぎが下手なのか…?」と落ち込んでいく始末。3日で30時間位かけて彫り、終わった時には彫刻刀も短くなっていました。 そして現在は黒漆を塗っています。日が当たることを考慮し、漆が透けても大丈夫なように少し炭煙を入れています。今月末までには完成させます。
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第13回 今回のサブタイトルは「片手にピストル、心に花束、唇に火の酒、背中に人生を」です。前回の山梨旅行の続きです。印伝を見学した後に甲州特産「雨畑硯」を見学してきました。「元禄三年、雨宮孫右衛門が身延山久遠寺に参詣の途中、富士川の支流早川の河原で拾った石で硯を作ったことから始まるといわれる。」(パンフレット参照) 硯の制作工程中、仕上げで漆をうすく塗布しているそうです。本来硯に使用される石は緻密で水分吸収の少ないものだそうです。漆を塗るのも水分吸収を抑えるためと思われます。 硯見学の後、勝沼ワインの醸造工場も見学してきました。僕は車を運転していたので飲まなかったのですが、試飲した人達は何種類もワインを開けてもらい、味の違いを楽しんでいました。ワインは葡萄の品種が当然味を決めるのですが、なんでも葡萄の皮の下に美味しさがあり、粒の大きな葡萄より小さいものの方が重量に対して皮の表面積が大きいため味も良いそうです。今度山梨に行くときはワインが試飲できるよう、車では行かないようにします。 ちなみに今回のタイトルは沢田研二の唄「サムライ」から引用しました。唄の途中で「ありがとうジェニー、お前はいい女だった、はんぱなワインより酔わせてくれたよ」と唄っていますが、帰ってきてから飲んだ甲州ワインは歌詞とは違い、美味しくしっかり酔わせてもらいました…
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第12回 「山梨旅行」です。先日山梨の甲州印伝(こうしゅういんでん)を見に行ってきました。山梨自体が初めて訪れた土地で、印伝も品物を何度か見た程度でしか知りませんでした。今回は甲府の印傳屋本社、本店、印傳博物館を周り、製造工程の見学、品物や古典作品を拝見してきました。 「いんでん」とは、゛印゛度゛伝゛来を略して゛印伝゛となったと伝えられているそうです。なめした鹿皮に着色をした後、漆(卵白が入る)で文様をつけたものが甲州印伝の特長です。文様の型紙は今でも和紙を使用していました。 文様を構成する線の長さは短く、点の面積も意図的に小さくされているものが多いです。面積が広いと文様の漆が鹿皮の柔らかさについていけず、ヒビが入りやすくなるためです。そのため地割印伝、松皮印伝とも呼ばれているそうです。ですから使い込んでいくうちに漆に割れが生じたり、剥がれ落ちることも当然あるのですが、剥がれ落ちても文様が途切れたようには見えず、装飾美を失わないのも文様構成の特長といえます。 他にも鹿皮を藁を焚いた煙で燻(ふすべ)たものや、一色毎に型紙を替えて色を重ねていく更紗(さらさ)などもありました。 正倉院にも鹿皮の工芸品がありますが、甲州印伝のルーツは戦国時代の武具からのようです。僕も一つ小物を購入してきました。紺地に黒漆でトンボが沢山飛んでいる文様です。トンボは戦国武将に好まれていたそうです。トンボは後ろに下がらないからだとか。
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第11回 今回のサブタイトルは「えぽきし」です。僕の本職は漆工品修復なのですが、最近なぜか模刻をしています。模刻とは模写の彫刻版のことで、今回は桧を削っています。「型」の様なものを制作しているのですが、彫りすぎた時には木パテをつけて形を戻しています。 コクソウ漆でモデリングする選択肢もありますが、時間と作業性を考慮し使用しませんでした。コクソウ漆は厚く付けると中まで乾かないことがあります。今回使用した木パテ(エポキシ樹脂系、通称人工木材)は化学反応で24時間硬化、厚く付けても中が乾かないと云うことはありません。逆に量が多い方が化学反応が促進され硬化時間が早くなるくらいです。 硬化には漆と違い湿度は関係ありません。ただし温度に関しては寒いと硬化に時間がかかります。今回使用した樹脂は形状安定性も硬化後−0.1%以下と殆ど変化が無く、刃物で木材のように切削することができます。木材に比べ早く切れ味が落ちますが、漆を削るのに比べれば作業性は良いです。普段の仕事では合成樹脂を使用することはあまり無いのですが、今回の作業では天然素材よりも有効な作業性が得られました。 文化財修復の現場で合成樹脂が天然素材よりも優れた作業性や結果を得ています。しかし伝世漆工品の修復で直接合成樹脂がモノに接触するような処置は日本ではあまり行われていません。合成樹脂の安定性を訴えても開発されてまだ100年も経っていません。1909年にフェノール樹脂が工業的に合成されたのをきっかけに合成分子材料が盛んに研究されたようで、エポキシ樹脂は1939年に開発されました。 僕は伝世漆工品に歴史の浅い材料を修復に使用することには抵抗があります。また、合成樹脂を知らないから使えないのではなく、勉強して尚且つ使用しないことが理想と考えています。天然素材の可能性をもっと追究していきたいと思っています。
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第11回 今回のサブタイトルは「白い砂浜,ぴちぴちのねーちゃん,青白い顔の僕(二日酔い)」です。 先日初めて沖縄に二泊三日で行ってきました。初日は久米島で琉球漆器の調査と蔵元で泡盛の製造工程見学、そして夕食と泡盛。 二日目は染色をされている方の工房見学、ソーキそばを食べ、琉球漆芸研究会に参加、そして泡盛宴会。 三日目は仕事の打ち合わせと沈金講習会の見学。あと今年のペナントレースを占うため、ヤクルトスワローズのキャンプ視察。夕方は市場で新鮮な魚介類を堪能し泡盛を飲む。夜の飛行機で東京に帰り、家についたのは0時30分…次の日は普段通り出勤と盛りだくさんでした。 沖縄に行った本来の目的は泡盛でも野球でもなく、「琉球漆芸研究会」を聞きに行くことでした。内容は「出土漆について」、「沈金について」を4名の方々が発表されました。 特に興味を持った話は沈金の話で、琉球漆器で現代の沈金刀で彫られた線と昔の沈金線が違うと云うことでした。実際に沈金部の拡大写真や現物から比較してみて、確かに線の表情(?)は違って見えました。 現在の産地(川連、会津、輪島、沖縄)や個人で使われている沈金刀等、刃先の形がそれぞれ違うもので手板に彫った線を比較してみました。琉球漆器の制作時期や個々の違いが当然あるものの、現代の道具では古琉球漆器で優品と呼ばれる沈金線の復元は難しいようです。 そのようなことを色々聞いてきましたが、結局タイトルのようなことはありませんでした
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第9回 今回のサブタイトルは「おぉ〜い雲よ、君はどこに行くんだぁ」です。 先日、大学恩師の仕事場に遊びに行ってきました。僕は学生時代に古典彫刻修復を勉強してきまして、木彫を専門にしていました。その時お世話になっていた先生は、山形で漆の木を二十数本庭で育てています。新潟の掻き子さんから苗木を分けてもらったそうですが、植えて直ぐの時はまだ土地に馴れていなかったせいか、初年度は成長が遅かったそうです。この数年は順調に成育し、そろそろ掻けそうな太さになったそうです。いずれ先生に掻き方をお教えすることになりそうです。 その先生から先日メールがきました。「今週の土曜日、仕事場に○○が遊びに来ると言っている。昨日納めた仕事の打ち上げも兼ねて一杯やる予定。よければ誰か誘っておいで。」 と連絡がきました。○○とは、僕の大学の同級生で韓国から留学してきています。一緒に卒業したのですが彼はさらに進学し、現在は博士課程の三年生となり今春卒業します。僕とは善いことも悪いこともした兄弟のような漢です。 僕は誰かを誘うため、まず泉清吉さんに声をかけてみました。残念ながら都合が合わず、またの機会となりました。 次に声をかけたの学生時代にお世話になった当時助手の先生で、現在は美術館に勤めている人に声をかけました。その方の奥さんとも仲が良く、みんなで一緒に韓国旅行をしたこともあります。旦那さんからの返事は「今風邪を引いていまして、さらにその日は放送大学のテストがあるので残念ながら行けません」と云う返事でした。続きがあり「奥さんはメキシコに行っていて宴会がある日の夜に帰ってくるから行けないと思います」でした… 次に連絡を取ったのは大学の後輩でした。返事は「実は来週フランスに行ってきます。帰って来るのは2年後です。まだ荷物の整理が出来ていないので今回は…」結局誰も連れていくことができませんでした。 留学生の友達は就職が決まっておらず、就職先について「北に風が吹いている」などと訳の解らないことを言う始末…みんなどこに行くんだぁ
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| 第8回
それでは今回のサブタイトルは「九州男児」です。 先日九州郷土料理のお店に連れて行ってもらいました。九州には一度、学会のため別府に行ったことはあるのですが、殆ど知らないも同然でした。 案内してくださった方は九州出身ということもあり、ほとんど注文をお願いしてしまいました。まず最初はビールで乾杯し、二杯目からは麦焼酎のお湯割を飲み始めました。最初に注文した食べ物は「からしれんこん」でした。初めて食べたのですが、鼻にツーンとした刺激が有り、大人の味でした。 「気合いが入るやろ」と言われ、僕も「はい!」と、爽やかな返事をお返ししました。からしれんこんを食べると酔いがさめるといいますか、いいものですねぇ。とても美味しかったです。また、九州で採れた魚の刺身、馬刺し、豚の角煮等どれも大変美味しかったです。 話の中で九州の漆器産地は、主な所で一箇所しか残っていないという話になりました。江戸時代に長崎の出島から海外に大量の漆器を輸出していたにも関わらず、その土地に漆は根付きませんでした。また、九州出身の漆芸作家で重要無形文化財保持者に認定された方はいらっしゃるのですが…やはり陶器の歴史もありますし、そちらの方が産地もしっかりしているためなのでしょうか。 九州輩出、人間国宝になられた先生方のお酒にまつわるエピソードを織り交ぜつつ、作品や人柄についていろいろ聞かせていただきました。僕も池袋近くに住んでいることから、昔住んでいたというこの土地で、何を見て感じてきたのかな〜と思ってしまいます
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第7回 今回のサブタイトルは「焼けた歴史」です。 年の瀬にショッキングクなニュースが飛び込んできました。北海道渡島管内南茅部町の埋蔵文化財調査団事務所が全焼しました。そこには現時点で世界最古といわれる漆製品(約9000年前)等が焼けてしまいました。中国出土の7000年前を抜き、漆の日本起源説の有力な資料として注目されていました。 ぼくがこの悲報を聞いたのは帰省のため札幌の実家に夕方着き、両親から火災の話を聞かされました。スプリンクラーが無かったり、管理責任をメディアが指摘していますが、僕個人的な感想は、そのような設備や環境の整った発掘現場や保管施設は地方自治レベルでは望めないと考えています。 まだ原因は判明していないようですが、近くの漁船から不審火の様な跡も見つかっているようですね…どれだけ設備が整っていようとも、作業者、管理者、地域住民の文化財に対する意識の向上無くして保存はありえません。ちなみに東大寺の柱に釘を打ったことは、文化財に対する認識不足以前の問題であると思います。文化財でなくとも、勝手に人の家に釘を打ち付ける人はいません。 1949年1月26日、法隆寺金堂壁画が焼損してしまいました。それにより翌年文化財保護法が制定され、法律上文化財は保護されているようです。しかし実際に文化財を守っているのは人のちからです。人の手を離れてしまうと文化財は残っていきません。 今回のコラムでは年末年始に文化財関連のニュースがあり、僕自身改めて考えさせられました。そのため今までのコラムと雰囲気が違っていることと思いますが、次回からは通常に戻る予定です。今年もよろしくお願いいたします。
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第6回 僕が去年漆を掻かせていただいた「日本うるし掻き技術保存会」から、先日第一回目の会報が発行されました。会報名は「うるしさま」でした…届いたときは驚きました。 このコラム名は山形の友達と考えて生まれました。内容は読んでいただけるとお分かりでしょうが、「浄法寺漆掻き日誌」とは違い、少しおちゃらけながらも漆に関わる体験を載せることを当初から考えておりました。名前は色々浮かんでは消えていきました。例えば「夕焼け漆」、「漆兄貴」、「俺が漆だ!」、「俺が漆か?」、「漆ミサイル」、「中距離核漆」等、どれもインパクトが無かったりふざけ過ぎておりました。基本的に「男気」もしくは「ミサイル」に囚われたネーミングが多かったようです… 何十ものタイトルを却下しながら、コラムの基本方針を話していましたら友達が、 友達:「漆と関係無い話でも最後に『うるし』って書けばいいんじゃないの?」 僕:「それじゃあ『かしこ』と同じじゃないかー」 二人共:「…拝啓漆様!」 と、同時に浮かびました。ショーケンの「前略おふくろ様」的な発想でした。このように漆に敬意を払い、それでいて楽しく漆に接して勉強していきたいと思っております。 そのようなわけで今回は今年最後のコラムとなりますが、来年も僕の身の回りで起きた漆にまつわる話をお伝えして、少しでも楽しんでいただければ有り難いと思っております。それでは皆様良いお年を。来年も宜しくお願いいたします。
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第5回 11月末に母校がある山形に行ってきました。ふらりと遊びに行ってきたのですが、二つ目的がありました。一つは後輩のバイト先に行って茶化してくる。もう一つは友達に僕の採取した漆をプレゼントすることでした。その友達には今年の春にも浄法寺町で採取した漆をプレゼントしたのですが、うれしいことに早くも使い切ってくれました。その漆を気に入ってくれたそうで、売ってくださいとのメールがきました。 僕が採取した漆は、国の補助金をいただいて漆の木を購入してもらい、指導者から採取技術を学びながら掻いていました。採取した漆は技術を習得する際に発生した「副産物」であり、カタチは変わってもみなさんの税金となります。そのため、研修が終わってその漆を没収、または捨てられても僕には文句の言えない代物となります。しかしそれでは良質な日本産漆がもったいないですし、一応頑張っていたので研修生にそのままサンプルとして持って帰っても良いと云うことでした。そのため、漆を売買してお金をもらうことは浄法寺町の研修先から止められていますし、僕も売るつもりは毛頭ありませんでした。 僕が採取した漆を高く評価してくれ、今まで何人かに差し上げた中で一番に使い切ってくれた友達には、僕も喜んでまた差し上げてきました。そしてほかの漆と比較して感想を聞かせてもらえれば、また漆を掻く機会が生じたときに工夫することが出来ると思っています。
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第4回 漆芸修復研究会の懇親会が終わった後、京都市工業試験場の発表者の方々とお茶を飲みに行きました。発表内容について色々聞いていたのですが、話の流れで漆掻きの話題になりました。僕は去年漆掻きの研修生として岩手県の浄法寺町に行っていたですが、前年度の研修生はその京都市工業試験場にいた人で、現在は木工をしているそうです。試験場にいたと云う話は僕も知っていたので、今回の発表者の方に僕も同じ研修を浄法寺町で受け、漆掻きが一応でき、そして北海道出身だと話していたら、「網走で漆を掻かないか!」と誘われ(すごい勢いで)ました。 中国に行ったときにも、「中国産漆と日本産漆の違いは木が違うのか、採取方法が違うのか」について話していた際、「中国で1シーズン漆掻きをしてみるか!」…そして日本ではもう職人さんが殆どいないから、現地で技術指導して日本の漆掻き技術を中国に広める…等の話が酒飲み話で盛り上がりました。 僕も本職がありますので網走も中国も行く予定は無いのですが、漆そのものの生産状況や後継者問題はやはり気になるところです。誰か漆を掻いてみませんか? ちなみに中国の漆の木を浄法寺の掻き子さんが実際に傷を入れ、採取したことがあるそうです。「変わんね〜、同じだ〜」と言ったそうです。
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| 第3回
11月初めに開かれた漆芸修復研究会に参加してきました。発表内容は正倉院事務所にいらした方で、正倉院宝物の修理講演から始まり、続いて鶴見大学の学生発表で、鮫皮材料と技法について。京都市工業試験場による三本ロールミルによる漆精製の発表。最後に美術院国宝修理所の発表で乾漆像の構造、技法についてでした。 特に面白かったのは美術院の発表でした。飛鳥時代の仏像で、漆塗膜に刷毛目が確認でき、尚且つ刷毛の「毛」が残っていたんです。抜けて固まっているのですが、スライドでみただけなので材質は分からず、発表者の方も人毛ではないし、獣毛でもなさそうだと言っていました。泉清吉さんが喜びそうな話ですよね(笑) 懇親会で「どれ位の長さだったんですか?」と、聞いたのですが、「これくらい」と、人差し指と親指の間が3センチ程開いているようでした。「本当ですか!?」と聞き直したのですが、お互い酔っ払っていたようなので… スライドを見たかぎり、仏像の大きさと刷毛の長さを考えると、そんなに長いとは思えませんでした。今度会ったときにもう一度聞いてみようと思います。
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| 第2回
11月の始め、土曜日の昼から行われた漆芸修復研究会に参加するため京都に行ってきました。 前日の夜行バスに乗り京都に入ったのですが、友達に「週末京都に行ってくる!」と、メールを入れていたところ、早朝返事がきまして「○○ちゃん(大学の後輩)もその研究会に参加するために、山形から夜行バスで行ったよ!」と知らされました。携帯に電話したところ同じ京都駅内にいました。 実はその前の週に奈良の正倉院展を見に行ってきたのですが、偶然大学の恩師が学生を連れ京都に来ていまして、日帰りの予定がその夜の宴に急遽参加させていただきました。去年も京都駅内で後輩と遭い、その日の午後は違う後輩と東寺で遭い、一昨年は恩師の奥さんと駅ホームの階段で遭い…この数年、京都に行くと必ず誰かと遭遇しています。 今回会った彼女は、午前中予定がないと言っていたので、僕の仕事場から頼まれていたおつかいに付き合わせました。おつかいは、金箔を貼る職人さんのところに荷物をお届けにうかがうことでした。 少し迷子になりながらも、9時過ぎに到着出来ました。すでにお仕事中で、仏前に飾る木製の蓮の葉に金箔を押す準備をしていました。一度箔を押し、乾いたものに二回目の箔を押すということで、箔下漆を擦り込み、余分な漆を入念に拭き取っていました。しかしその時は30分以上拭き取りに時間を要していました。「そんなにこすって金が剥がれないものなんですか?」と、たずねたところ、「拭き取りが甘いと金の光が鈍くなり、拭きムラがあると当然光り方にムラが生じてしまう」と返事がかえって来ました。二回金箔を押すのも、より金色を見せるためのようです。湿度に応じて漆の乾く早さも当然調整していました。見事な腕前にただただみとれてしまい、そこ で一時間ほど見学をさせていただきました。
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第1回 10月に上海、南京に行ってきました。江戸時代に作られました「琉球 古楽器」の復元模造の打ち合わせに同行したためです。 その琉球古楽器は現在二十数点が名古屋の徳川美術館に伝わっています。今までの調査で中国で楽器が作られ、琉球で漆を塗り、江戸幕府に献上したようなのです。日本には無い形の楽器もありますので、上海、南京の楽器工場に写真や図面を持っていき、打ち合わせを行いました。木地が完成しましたら、日本で漆を塗り加飾が行われる予定です。まだ何年もかかる事業のようです。 見学した中国の工場で漆がありました。臭いをかいだのですが、やは り「中国産漆」の匂いでした。日本で購入する中国産漆のあの匂い運ばれてくる際に変質したために生まれた匂いだと思っていました。しかし中国国内で使用されている漆でも同じ匂いがした訳は? それは、もともとの匂いなのか?中国国内での流通はどうなっているのだろうか?実際その漆は乾きがわるそうでしたので、古い漆かもしれません。掻き取ったばかりの漆を見ないことには解りません。この疑問に対して11月始めに京都で行われた漆芸修復研究会の懇親会に於いて、興味深い話が聞けましたので、近いうちに報告させていただきます。 僕の中国での仕事は、現地の職人さんの相手と云うことで、お酒ばかり飲まされていました。帰る日も二日酔いで朝六時に起き、飛行機でなんとか帰ってこれました。五泊六日のうち三日は二日酔い(一日おき)と云う記録的な宴会をしてしまい、常に僕がその中心で飲まされていました。お酒を飲むのも大切な仕事でした…
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