|
「拝啓 漆様」の保存修復についての感想 リンクしてもらつている砂田さんからいただきました。2003.12.5 |
|
保存修復−大西智洋様
作品というものに関する考え方は、作家の手元を離れた時点で、一個の生き物と言えるのではないでしょうか。その後、どういう人生を歩むかは、運命というしかない。 劣悪な状態でない限り、変化してきた現在の姿をそのまま受け入れるしかない。北村先生のおっしゃるように、現在の状態のままに保つのが、修復の仕事だと思います。 仏像は、造られた当時は、願主のためだけにあり、非常にきらびやかだった。百済観音を高貴なものと感じるのは、くすんだ姿の中に、手招きするような無限の優しさを見るからではないでしょうか。金沢で展示されていたとき、制作された当時の姿がコンピューターグラフィックで再現されていたが、女優の三林京子を思わせ、違和感がありました。千年を生きてきて、国宝になった気がします。原初の姿に戻したいと思うなら、優品模造という形ですべきだと思います。 ただ建築物などの場合は、倒壊を防ぐ為の交換が必要になるでしょう(記録は残す)。途中でとんでもない補修がなされていることが発見された場合には、どうしたら良いか問題になります。 美術教師が生徒の絵に手を加えるようなものと言えるかどうか。原初の作者に、そういう表現法もありうると考えさせることが不可能である以上、そういう補修は取り除くしかないでしょう。(他人の作品を取り込んで、別の作品としている場合―古材の再利用―は、どうなるか?) 遺跡から発掘されたものを樹脂で固めるのが正しいかどうか、疑問があります。一つの方法ではあっても、もっと良い方法が考え出されたとき、どうしようもなくなっているからです。最後は、個々の作品に即して判断するしかないでしょう。 漆の経年変化は、従事者にとっては、考慮されています。芸術という言葉に違和感を覚えるのは、自意識だけが突出している感じがするからです。 逆に言えば、作家の意図を超えた感動を与えられる作品が芸術ではないでしょうか。 人生など、比喩表現をお許しください。 砂田 正博 |