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代々漆刷毛師の家に生まれましたが最初から漆刷毛師になったのではありません。

親父 八世 泉 清吉は、この漆刷毛師の大変さ、そして仕事としての将来の見込みなどを思ったのか、子供の頃から私に、ただの1度も 仕事を継げとか、漆刷毛師になれ、などとは言ったことはありませんでした。

逆に、大変だから別の仕事をしたほうが良いよ、と言い続けるのですよ。ですから、私は将来は、モノを作る仕事、それも時代の先端をいくモノを作りたいものだと考えて電子工学のエンジニアになる希望を持ちました。 今なら、情報工学かバイオ希望でしょうか。

秋葉原には小学6年から通い始めて、始めて購入した本は奥沢清吉著「トランジスタとその使い方」です。ラジオ小僧となり、トランジスタラジオを作りまくりました。

私は子供の頃から側に普通に置いてある、鉋、鋸を使っての木の細工が好きでしたし、学校から帰ると毛揃えの仕事をしていた母親の手伝いも、頼まれたわけではありませんが 良くしたものでした。おもしろいのですよ、これが。

髪毛を揃える事は端から見ると、とても大変な仕事のようですが(実際仕事となると大変なのはまちがいないのですが)わたしは、なんとなく、あんなに1本1本バラバラなものがキチンと しかもピシャリと きれいに揃っていく、手仕事に魅力を感じていました。


今から考えると、この手伝いのおかげで、学生時代に漆刷毛師の仕事の基礎は身についてしまっていましたね。

親父について、木材問屋の集まる、東京・深川木場に檜を買いに行ったり湯島天神のある、湯島のかもじ屋さんに行ったり、 上野の芸大に刷毛を届けにも行きました。帰り道は浅草。今、思い出すと、なくなってしまった下町の旦那衆や職人さん達の風情や人情がたくさん詰まってい たあの頃はなつかしく楽しいことばかりでした。やはりわたくしも江戸っ子職人の血を継いでいるのか肌が合います。

漆刷毛はなんとなく頭の片隅で気になりながらも、一生の仕事にしようという根性気概もなく、ゲバ棒、ヘルメットで吹き荒れた大学紛争、東大入試中止のまっただ中、大学に入学し 、あこがれだった電子工学を学ぶことになりました。実験、レポート提出に追われながらも勉強というより、自分の好きな工作の続きをさせてもらっているような学生生活でした。4年の初夏の頃、第1希望のNEC日本電気に就職が決まりました。21の時でした。

そして、希望に胸ふくらませてエンジニア1年生となり、映像技術部というヒデオカメラの設計部に配属され、先輩について教わりながら日々業務用ハンディカメラNC1000の開発設計をして過ごしていました。


しかし、卒業間近くからなんか心の中にモヤモヤしていた事が、実際に会社で仕事をしてみて徐々に現れてきました。

自分のやりた いモノづくりというのは、これではない。自分は機械を使って作る工業製品ではなく、そしてモノづくりの工程の一部分だけではなく、自分の手足を道具として、目、口という体までも道具として、自分の感覚を最大限に生かして作る、手作りのモノを、さらには最初から完成まで作りたいのではないだろうか。そして、作り上げることで完成とせずに、使い手に直接手渡して良い悪いの手応えをつかむまでで完結としたい。

 

悩み考えつづけている内に、そういうことこそが自分のやりたい、人生で目指したい仕事だとはっきりとわかりました。形となって見えてきたのです。

そんな気持ちになって、どんなものだろうかと相談した結果、当然ながら周囲の全員に「やめとけ」 「しんぼうがたりない」 「3年やってみろ」「せっかく入った会社だろう」と反対されました。


しかし、人生はリセットボタンのないただ1度でのものであり、最後になって悔やむことのないように、自分の信ずる本当にやりたいことをやって人生を生きてやろうと、固く心に決めて翌年、会社を飛び出したのです。

そのころ技術者が大きな企業を飛び出す スピンアウト などとカッコいい言葉がはやっていましたが、そんなものとは無縁の職人の世界に入ったのです。

好きな事を仕事にできて 、生活もしていければ本当に幸せではないだろうかと思った23才のことでした。好きなことをやって例え死んだってかまわない、そんな悲壮な決意もほんの少しだけはありましたね。

後に「漆刷毛師になるのにずいぶん回り道をしてしまったね。」と言われた事がありますが、わたしはそう考えてはいません。

あの電子工学時代が漆刷毛製作の土壌ともなっているのです。 お世話になった会社時代も、今になってとても勉強になっています。人生何事も無駄なことはないように思われます。


 

いつのまにか、2003年現在で30年間も漆刷毛を作りつづけてしまいました。現在、親父の言った通り、仕事としてやっていくには本当に大変で あり常に苦労の連続ではありますが、それはどんな仕事でも同じであろうと思います。漆刷毛だけではありませんよね。

自分のやりたい仕事をしている満足感が常にあり、 また人生の瞬間瞬間を生き切っている感覚があります。すべての工程を自分でコントロールできている喜びがあります。

そういう意味では本当に心から幸せです。使い手の方に、具合が良いよと言われてうれしくなったり、今度の刷毛はなんだかスカスカだよ、といわれて自信喪失したり、毎日を漆刷毛とともに過ごしています。 祖父や父のように死ぬ直前まで製作し続けたいものです。
 

以前は、元・エンジニアのせいか技術的に品質の良い漆刷毛をなんとしても作る、ということが最大の目標でした。しかし、21世紀に入って時代が確実に変わ り、伝統工芸にも強い逆風が吹くようになりました。原料が入手困難な状況となり、漆刷毛を作り続ける、ということが最大の目標となりました。さらに、50歳を越えてからは、自分がいなくなった後、良い仕事をしていたね、といわれるような 納得できる漆刷毛を作っていきたいと思っています。


昔に比べてこの漆刷毛の仕事を理解してくださる方も多くなり ました。1995年にポーラ賞、1998年には文化庁より文化財選定保存技術保持者の認定もいただき有り難いことだと思っております。

職人気質の自分としては、あまり人前に出て、こんな仕事です、とか、こんなに上手く作りました、などと言うことなど、 あまり道具に自分というものが出ることは歓迎しないのですが、このままでは漆刷毛というものが、忘れられていくことは必至だと思い、恥ずかしながらも各地で実演したり、取材にも応じさせていただいています。 実際、今でも30年前の漆刷毛のことなどほとんど忘れられているのが実状ですから。

日本の伝統の漆工、漆芸、国宝修理にはこんな漆刷毛がどうしても必要であることを知っていただけばうれしいものだと思っています。

2003年1月 九世 泉 清吉

 

 

これまでの道のり

 

1950年 東京文京区生まれ
1973年 電気通信大学 電子工学科卒業 日本電気入社
1974年 日本電気を退社
1974年 父・八世泉 清吉に師事
1975年 独立 漆刷毛工房ひろしげ開設
1985年 埼玉民俗文化センターにて実演、製作用具が記念保存される。
1988年 父没後、九世泉 清吉を襲名
1991年

東京芸術大学、非常勤講師となり、刷毛製作を実演

1992年

長野県より依頼され、木曽平沢にて実演

1992年

輪島にて第7回国民文化祭に漆刷毛師として招待参加

1993年 福島県より依頼され、会津ハイテクプラザにて実演
1994年 東京芸術大学にて漆刷毛全種が永久保存
1995年 伝統文化ポーラ賞奨励賞受賞
1995年 木曽暮らしの工芸館にて、漆刷毛全種展示、記念保存
1996年 韓国の漆刷毛調査に参加
1996年 香川県漆芸芸研究所にて実演
1996年 山形 真室川漆シンポジゥムで実演
1996年 東北芸術工科大学、特別講師となり刷毛制作を実演
1998年 長野オリンピツクの漆塗りメダルに刷毛が使用される
1998年 東北芸術工科大学にて刷毛製作実演
1998年 選定保存技術保持者に認定
1998年 金沢卯辰山工房にて刷毛製作実演
1998年 小田原工芸技術センターにて刷毛製作実演
1999年 東京芸術大学にて、刷毛製作を実演
   
2000年 金沢卯辰山工房にて刷毛製作実演
2003年 青森冬期アジア大会の漆塗りメダルに刷毛が使用される
  輪島漆芸研修所にて刷毛製作実演
  奈良での選定保存技術シンポジウムで講演  
2004年 埼玉県立博物館で製作実演
2007年 金沢卯辰山工芸工房で製作実演
  ユネスコ世界会議で製作実演
2008年 NPO法人文化財夢工房 監事 文化財シンポジウム パネラー
  広島市立大学 非常勤講師 製作実演

 

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