| 漆刷毛師にとって、髪毛は命のようなものである。なんと言っても漆刷毛の良し悪しは髪毛で決まるからだ。しかし、この毛の入手は今も昔も難しい。
ただ高価であり、入手難というばかりではなかった。言葉は悪いが、昔はだまされる、ということもあったからだ。
昔から、人の髪毛は普通のただの材料ではなかった。人の肉体の一部であり、そこにはなにかしらの念のようなものが入りこんでいることがある。そのようなものを扱う人も業者もまた少しばかり複雑でいろいろと変遷が多い。
私が小学校に入ったばかりの昭和30年頃の話である。
毛屋が、麻袋一杯に入った髪毛を持ってきた。集めてきた髪毛は全量引き取る約束である。急にこられても代金はなかなかそろわないほどの金額であったと言う。祖父が相手をしている間に母親は着物を近所の質屋に入れ、あわてて揃えてたいそうな代金を支払った。
母親が私にちょっと見ていてくれ、と言ってその場を離れた。毛屋は私に何かを言って麻袋を持って行き、そのまま二度と帰って来なかった。
重さを増やすために、たっぷりと水を含んだ毛を買わされたこともあった。
昭和40年代のオイルショックの頃、毛は相場商品のようになっていた。
中国から毛が入っていくるようになり、価格が大幅に上下するようになったのだ。信頼できるとして父親が取引していた老夫婦の毛屋が、突然不渡りをだしてしまい倒産してしまった。先払いしていた代金はそのままで毛は入っては来なかった。父親は途方に暮れていた。
ようやく手にいれた毛も、毛屋が櫛入れ作業の滑りを良くするためと、重さを増やすために灯油でたっぷりとしめらせてきたこともあった。作業に使っていた小さな三畳間がどうしようもないくらいに臭く、毛揃えをしているうちに頭がクラクラすることもあった。ともかく毛に苦労はつきものである。つくづく、普通の人には毛は扱えないと思う。
昭和50年代になると中国産人毛が50キロの木箱単位で入手することになった。しかし中が見えない木箱には、重さを増やすために石が入っていたり、とんでもない短い毛や、白髪がほとんどというものもあった。
平成の時代になっても毛の苦労は絶えることなく続く。東京近辺でも人毛、動物の毛を扱う原毛商は片手で数えられるほどに減っていた。大手刷毛、ブラシメーカーは中国から完成品を輸入するか直接原毛を買い付けてしまうから、存在意義が減ってしまっていたからである。
そんな中、長年毛を頼んでいたところが数年前に突然、行方不明になってしまった。倒産して夜逃げしてしまったのだと言う。
困ってしまった。そして、同時期に日本人の髪毛の収集システムの崩壊。つまり、日本では、もう髪毛を集めたり売ったり買ったりのシステムが成り立たなくなってしまったということである。この時点で父親まで約300年続いてきた日本人髪毛を使った漆刷毛製作は幕を下ろしたと言える。手持ちの日本人の髪毛がなくなり次第、私は泉清吉印の漆刷毛をやめる覚悟をしている。
漆刷毛の毛が100%中国産という時代は後1−2年の秒読み段階なのである。
現在、毛を頼めるのはただ1軒だけになってしまった。しかも、条件はきつい。現金前払い、ノークレームノーリターン、つまり万一不良品であっても返品不可。納期はついでの船便に乗せるので確約はできない、というのである。その店の責任ではない。すでに日本では髪毛の需要はかぎりなく0に近く在庫をまったくもてないことが原因である。
さらに言えば、その1軒も跡継ぎがなくあと7−8年程度で店じまいの予定である。その時期は、早くなることはあっても長くなることはないであろう。
すでに、「毛を選べる」という時代は終わってしまったのである。
そして漆刷毛にとって、いつまでも毛の苦労は終わらないのである。
2003年7月12日 九世 泉 清吉
|